広島市中区にある広島の原爆ドーム(世界遺産登録1996年12月)。世界中の人が訪れる場所です。世界に語りかける“戦争を起こさせない”ための平和のシンボルとして大切に保存されてきました。
1945年8月6日AM08:15
空から1個の核兵器が落ちてきて、この町は焼け野原になりました。人間の手によって、1つの町の営みが消えました
地上約600メートル上空で核兵器(以下原爆:原子爆弾)は炸裂。眩い閃光が走り、目はくらむ程。投下43秒後のできごとです。光は灼熱の火球を作り、中心温度は摂氏100万度強。たった1秒で最大直径280メートルの大きさになり、爆心地周辺の地表温度を3000~4000度にしました。続いて、衝撃派が発生。爆風が音速を超える速さで吹き抜けました。爆風がおさまると、吹き戻し現象が起き、爆発地点に向かって風が吹きました。この時、爆発地点から1キロ圏内は無風の真空状態。原爆ドームは全壊を免れました。
※この動画は、広島県の許可を得てザ・広島ブランドさんへ掲載するため特別に撮影したものです。ザ・広島ブランドの許可の元掲載しております。
何が起きたのかを説明するのは困難を極めます。科学理論と推測によるものが多いからです。しかし、世界中から訪れてほしい場所。それが広島の原爆ドームです。その前に立ち、過去を想像し、また、現在の街の息吹を感じてみてください。二度と“戦争を起こさせない”と誓った町の、平和存続の静寂を感じてみてください。平和について考え、意識できる場所。それが、原爆ドームです。
原爆が落ちる前の原爆ドーム。ここは広島県内の物産品の展示・販売をする施設として建てられ「広島県産業奨励館」といわれていました。美術展覧会や博覧会も開催される場所。多くの住民が足を運びました。設計はチェコの建築家ヤン・レツル氏。ほとんどが木造2階建て建築の町並みの中で、一部鉄骨を用いた煉瓦造り3階建て。ヨーロッパ風の建物は珍しく、また川面に映る美しさも手伝って広島の名所の1つでした。
1945年から現在まで修繕し保管されていますが、もともと傷ついた建物です。いつまで現状を維持し続けられるのか解りません。今、機会を作り、訪れて欲しい場所。
「ノーモア・ヒロシマ」―広島の悲劇を二度と繰り返すな
原爆ドームは、被爆当時の惨状を残す姿が“平和の大切さを世界へ語る”象徴として、核兵器の廃絶と恒久平和の大切さを世界へ訴え続けています。
あなたの大切な人を守るために。安心、安全な毎日を送るために。自由に夢を描くために。
武力を使わず、人間対話。戦争のない地球を望みます。
この町の息吹を感じてみてください。
原爆ドームにはボランティアガイドグループ『FIG(三登浩成代表)』のメンバーが365日(雨天は中止)常駐し、「より多くの人に広島で起きた現実を伝えたい」、と活動しています。三登代表は元英語教諭。2006年からガイド案内をしており、案内者は通算20万人を超えました。深く学べる機会を、ご縁を、ぜひお繋ぎください。
Blue atomic bomb Dome photo by Kosei Mito
―みなさんのご家庭が、町が、国が、そして地球が平和でありますように―