広島県のライター奈須礼子です。
今回は東広島市西条町寺家のJR寺家駅開業記念式典の模様です。この駅、住民が30年という時をかけて、やっとオープンされた駅。どんな思いが込められているのでしょうか?映像は、一日駅長さんが出発進行!360°のバーチャル体験でトリップしてみましょう。
2017年3月4日にオープンしたJR山陽本線寺家駅。この駅の近くには、東広島医療センターがあります。この病院は第三次救急。東広島市内で災害や大きな事故が起きた時には、拠点となる病院です。ヘリポートもあり、ドクターヘリが離着陸できます。
その病院から1キロ圏内。そんな場所にできたのがJR山陽本線寺家駅です。病院に通う人は、かかりつけ医に紹介してもらった重篤な人が多く、広範囲から通院・入院されます。しかし、戦後にJR山陽本線西条駅(寺家駅から2.2キロ)と八本松駅(寺家駅から3.8キロ)があるので話は進みませんでした。
歴史をさかのぼります。時は広島に原爆が投下された1945年。この駅の完成に長年尽力を重ねたグループがありました。寺家地区街づくり研究協議会。30人程のグループで、東広島市・広島県・国へと駅の必要性を請願し続けました。
その寺家地区街づくり研究協議会の石井康隆会長(83)にお話を伺うと、「原爆が投下された時には、線路は引かれていました。駅はこの辺りには無くてね。電車が線路の途中で止まっていました。広島市内は大変な惨事で、負傷者を運べる病院が少なかった。この約50キロ離れた東広島の病院まで、負傷した人が電車に乗せられて、大勢運ばれてきました。想像するに苦しいですね。病院内に入りきらない負傷者は、田舎のただ広がる台地に横にされて…。野戦病院です。見渡せる範囲全て、負傷者の並ぶ光景でした。」と、当時を振り返ってくれました。
お見舞いに来るにも、一緒に帰るにも駅が必要。しかし、戦後にできたのは、寺家駅から東に2.2キロ先の西条駅と、西に3.8キロ先の八本松駅でした。
その後、工業団地や住宅地造成が進み、人口の増加(平成17年から24年までの8年間で増加率は175%)が著しい寺家へと変化を遂げました。寺家小学校は市内でも1番のマンモス校になり、全校児童が1000人を超えました。来春には分離され龍王小学校が新設されます。時が熟し、地域住民が30年前から請願し続けた、待望の駅は完成しました。
駅にも形態があるようです。
この駅は、JRに東広島市が業務委託をする簡易委託駅となりました。株式会社ジェイアール西日本広島メンテックが運営に当たります。一日の乗降客は2800人が見込まれ、平日は146本・休日は137本の普通電車が停車。広島駅までを最短34分で結びます。
構造は橋上駅舎で、改札は2階。駅の南北を結ぶ自由通路としても、地域住民に”便利な駅”になるように造られています。自転車を押して通ることができるなんて、便利ですね。